エッセイの最近の記事

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現在産後3ヶ月、まもなく職場に復帰予定。娘を産んでから、私の人生第二幕が始まりました。
お腹が大きかった妊娠中のことはすっかり忘れたけれど、当時の気持ちを丁寧に書き綴っておいたおかげで妊婦の頃の気分が思い起こせて良かった。同じく初産で産後直後の気持ちなど、すぐに忘れていきそうなので、今回もまた、文章を残しておこうと思います。仕事に復帰したらゆっくり書く時間もなさそうだし。

世界一周しても価値観なんか変わらなかったけど、親になったら価値観変わりました。
一言で言うと、赤ちゃん産んで本当に良かった。しあわせ。これに尽きる!

巷には、赤ちゃんのお世話というものは24時間労働でとにかく大変、心身ともにすり減って追いやられてやばい、とにもかくも辛い、という母親の悲痛な叫びが特にネット上に流布されているように思う。私も妊娠中はそんな育児大変談をたくさん読んできて、未知で初めての育児生活に対して本当に身構えていたのだけど、生後3ヶ月を迎えた今、赤ちゃんのお世話は思ってたより死ぬほど大変じゃなかった。
(「おいおい、母親歴たった3ヶ月のど新人のお前が何を言うんだ、これからが地獄の始まりだよ」なんて声が方々から聞こえてきそうだけど)

世の中、特にネット上は、幸せ語りより愚痴や不幸の方が共感され注目されやすい。#保育園入りたい #夜泣き辛い #寝れない みたいな。
子育て楽しい、幸せ、とか言うと、幸せなのは恵まれているからだ、子供が出来ない人の気持ちも考えろ、マウンティングしてるように見える、とか、いろいろ言われそうな気がするから、みんな自分を守るために、子育て大変って言っているような気がする。そういう「育児大変ポルノ」(と私は勝手に呼ぶんだけど)の流れって過分にあるんじゃないかなと思った。
「赤ちゃんのお世話は24時間労働」と言うけれど、実際のところ新生児は1日16-17時間くらい寝てるし。しかもまだ手足バタバタしかできず、動いたりできないから、仮にギャンギャン泣いてても、まだ「目を離せる」。赤ちゃんが寝てる時間は大人が自由に活動できる時間として動けるし、サボれる時にはサボってゆっくりできる。
生後間もない赤ちゃんって、毎日毎日すごい勢いで細胞分裂を繰り返し、すごいスピードで成長して、顔に出来た傷とか吹き出物とか、1日できれいに消えていて驚愕する。表情もどんどん変わっていって、見ているだけで幸せで、日に何度か泣きそうなほど感激する瞬間が訪れる。育児は自分の時間(とお金)の大半をつぎ込まないといけなくなるけれど、その分、今まで知らなかった類の最上級の幸せを得ることができるんだなあ...。


我が子が可愛すぎる問題

生後2ヶ月、桜の季節。お天気の良い平日の午後、ベビーカーでお散歩しながら桜を愛でる。暖かくてのどかで、娘はベビーカーですやすや眠っていて、満開の桜はきれい。花見に来たお婆ちゃん達が笑顔で娘を見て、声をかけてくれる。ああ、幸せだ。我思フ「今が私の人生のピークなんじゃないか」と。「世界一周とかしたけれど、私の小さな赤ちゃんと、美しい桜の季節に一緒にお花見するために、私はこれまで生きてきたんじゃないか」と。


親になってわかりました。
我が子の愛おしさは尋常じゃない。大好き過ぎるし、この子のためなら死ねると、本気で思う。
産まれて3か月にも満たない娘の寝顔を見て「この娘も大人になって結婚して、私が今感じてるように、赤ちゃん産んで幸せな気持ちになって欲しいなあ」とか想像して、勝手に感激して泣いたりしている、気が早過ぎる感受性の高いおばさん、それが私だ。

とにかく可愛い。
私の顔をじっと見つめるキラキラで純粋な瞳、あうーと何かを語りかけようとする小さな可愛い声、自分の手を見つけて指を興味深く見つめる姿、覚えたばかりのぎこちない満面の笑顔、漏らすほど大量のうんちをしたときのすっきりした顔、もぞもぞ全身が動く姿。
仕事なんかしてる暇あったら、この一瞬しかいない自分の娘とイチャイチャしていたい。
あうーと語りかけてくる娘に「そうなのぉ〜○○ちゃんは可愛いのぉ〜」とか言ってる自分にもうドン引くこともないし、娘があまりに可愛すぎて「こんなに可愛い赤ちゃんは他に見たことがない」と本気で思ったり、私の頭はおかしくなったんじゃないかと不安になります。

自分の赤ちゃんがこんなに可愛いなんて知らなかったよ!なんでみんな教えてくれないの?
いや、6年前の結婚した当時に、他人に「子供はつくらないの?かわいいのに!」とか言われたところで聞く耳もたなかったけど!
ちっさい今が一番可愛い黄金期なんじゃなかろうか、これ以上おっきくならないで欲しい、いや、この状態で成長が止まったら不幸だからやっぱり大きくなって欲しい、というのを毎日思い、かわいさを毎日アップデートしながら、気づけば乳児から幼児になり小児になっていくのだろうよ...参ったね。


生後1ヶ月まで

とはいえ、今思えば新生児期はそれなりに辛かったかもしれない。
産後間もない産褥期の体は、大量の悪露(出血)が続くし、体力全然ないし、股はとても痛いし、ホルモンバランスも崩れてるのか、ちょっとしたことで泣けたりする。母乳の方も絶賛開発段階で、乳首もめっちゃ痛くて、授乳の時間が苦痛で仕方なかった。免疫力も落ちていたのか、なぜか腰に粉瘤ができて痛くなり、慌てて日帰り切除手術しに行ってしばらく傷跡も痛かったし、身に覚えのないお腹の風邪ひいたり、指先に何故か膿ができたり、歯茎が腫れたと思ったら突然歯が割れて、慌てて歯医者行ったら「はい、これも虫歯ですね、神経までいっちゃってるので治療に時間かかりまーす」みたいな感じで苦笑いしかない。ただでさえ体辛いのに、マイナートラブルが断続的にやってきて...あれ、今思うとなかなかしんどかったかな?

この時期は3時間おきに「おむつ替え、授乳、ミルク、ときどき搾乳」をワンクールとして1時間かけて8回やってた。夜も先回りでミルクを飲ませるようにして、赤ちゃんに夜中起こされてる感じを回避。(この時期は夜用にミルク作り置きして冷蔵庫入れてた。)
断続的な8時間労働+αっていうふうに考えることにして実際は大したことないじゃんと思いこんでたけれど、あれ、今思うと大変そうだな?

新生児の赤ちゃんは本当にちっちゃくて、泣き声もか弱くて、首なんか全然座ってなくてぐにゃぐにゃで、腕の中にすっぽり入ってふにふにしてるだけの生き物。


退院して家に連れて帰った時。とりあえず家にある赤ちゃん用布類をたくさん出してきて、赤ちゃんを置いてみてたんだった。

退院した最初の日は、入院生活から解放された嬉しさ、これから始まる子供との生活の序章の始まりみたいな高揚感でいっぱいだった。ミルクの作り方もよくわからず、服も何枚着せて良いかわからない。用意したベビーベッドに初めて寝かした夜。真冬だったのに肌着1枚で寝かしてしまってたんだ。(だって病院がそうだったから...)夫と戸惑いながらお世話を始めてたのが遠い昔のようだ...(たった3ヶ月前なのに!)

産後2週間までの間に、義母、母、それぞれ3,4日ずつ家に来てもらって手伝ってもらったのだけれど、助かる反面ストレスになる面もあった。特に実母が来たときは「この人なにしに来たんだろ」と思うくらいにはイライラすることが多かったし、ホルモンバランスも崩れがちで、ちょっとしたことで怒ったり泣いたりしていて、夫からしたら、まさに産後気が立ってる雌で、腫れ物のような存在だったに違いない。
この時期は「近所のタリーズに行く」「近所のコンビニに行く」が一日の一大イベント、近所の整体に週に1回通うのが大変な楽しみだったな。
そういういっても、母子ともに経過は順調で、徐々に体力も戻り、抱っこひもで買い物行けるようになったり、近所をお出かけしたり、1ヶ月健診は1人で行けるくらいにはなっていた。


母乳について

生後3ヶ月現在、ミルク7:母乳3くらいの混合栄養である。母乳の出は良くない。
もともと完全母乳で育てるつもりは毛頭無かった。私は物心ついた時から、牛乳や生クリームなど「乳臭い」ものがすごく苦手で、自分の乳も例外ではなく、私の胸から母乳が出てくるなんて「ヲエッ」といまだに思っているし、一日に何度もつくるミルクの臭いもかぎたくない。
でも母乳は赤ちゃんにとって大切なものであることは間違いなく、せっかくの女性の機能なんだから開眼させておかないともったいないし、そして母乳出ないと痩せないし...ということで、それなりに頑張った。生後1ヶ月くらいまでは乳首がマジで痛く、授乳の度に「いたいーうえーん」と泣きながら、乳頭保護器や乳頭保護クリームなども使いながら、歯を食いしばって痛みに耐えて乳をやっていた。
出ない乳を強引に吸わされる娘、出ない乳を強引に与えて乳首が痛くて泣く私。「おっぱいトレーニング」はお互い辛かったなあ、ううう...。
産んだ東京女子医大の心強い母乳外来にせっせと通い、辛いトレーニング期間を乗り越え、痛さもなくなり、授乳もスムーズにできるようになったけど、母乳量はさして増えなかったぜよ。でも、もう良いんだ。「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」そんな明鏡止水の気持ちで自分のおっぱいの機能を受け入れた。

娘はおっぱいもミルクもどっちもしっかり飲んでくれるし、むしろ、どちらかというとミルクの方がごくごく飲めて嬉しそうだし、最近じゃ知恵がついてきたのか、出ない乳に見切りをつけるのが早くて、乳首「きゅぽん」って反り返って口を外されるのを「おいもっと飲めや」と吸わせるのが毎度のコントのようになってるし、そもそも授乳好きじゃないし、ミルクは誰でもあげられるので、お世話を任せることができるから、私は外出もできるしお酒も飲めるし、保育園にも通うし。会社で搾乳して冷凍して持って帰るとか、さぞや面倒だろうだから、もう良いのだ。母乳パッドも母乳フリーザーパックも要らなかったし!(誰かにあげたい)

しかし、ミルクをごくごく飲んでる赤ちゃんの姿を見るたびに「ああ、人間て、ほ乳類なんだ、なあ」としみじみ思うのである。
(そして、人間は別の動物である牛の母乳を飲めるのが、改めて不思議だなと思う)

問題はおかげで体重が思うように減らないこと。妊娠中「どうせ産後痩せるし」とか、無尽蔵にあるだけのバームクーヘンをバクバク食べて最終的に14キロ体重増やした自分を止めに入りたい。しようがないので、今、摂取カロリー意識したダイエット中です。


そしていまのところ、とっても育てやすい子に

生後3ヶ月、夜は5-7時間まとめて寝てくれるようになり素敵な子です。そのままのあなたで居て欲しい。
現在、混合栄養で4-5時間おきに母乳&ミルクをあげる、夜は泣いて起きてしまったらあげるというのがペース。
寝かしつけというのもほとんど必要なくて、図書館で借りた「赤ちゃんがピタリ泣きやむ魔法のスイッチ」という本にあったように、赤ちゃんをおくるみでぎゅっと包んで、ベッドに置いて、ホワイトノイズを聞かせ、部屋を暗くして、メリーをくるくる回しておけば、15分で勝手に寝てくれる。ちょろい。抱っこからベッドに寝かした瞬間泣くという背中スイッチもない。そのままのあなたで居て欲しい。
フランスの子どもは夜泣きをしない パリ発「子育て」の秘密」を真似して、夜泣いても、5分10分は放って様子を見てみる。添い寝、添い乳は最初からしない。というのをしてたら、今のところ寝るのが上手な子になりました。
保育園生活もはじまり、生活パターンもつきつつあります。
私の娘さんはどうやら手のかからない「ラッキーガール」らしい。(だからこのブログの人は育児大変そうじゃないのね、と思ったそこのあなた、その通りかもしれません)夫も面倒見がよく、新生児期からワンオペ育児全然任せられます。
ああ、そのままのあなたで居て欲しい。夜泣き知らず、離乳食もぱくぱく食べ、イヤイヤ言わず、病気しても軽く済み、いつもご機嫌な子で居て欲しい...。


ママ友はやっぱり必要だった

子供を授かるまでは、正直に言おう、時折見かけるママ友集団を冷ややかに見てました。そして、すみませんでした。「ママ友」の存在って必要不可欠でした。
平日の昼間など、お店にベビーカー大挙して押し寄せ、子供は自由気ままに動き、ママ達はママ達でピーチクパーチク話してる。ママ友なんてつくるものですか、なーんて思ってましたが、ママ友は新しくつくらなくても良いのかもしれない。昔からの友人でお母さんクラスタになった人たちと再び(というか、従来以上)に仲良くしてもらえれば良かったのだ。
「ママ友名刺(なんだそれ)」、「週に1度のランチ会(面倒臭そう)」とか、「夫の職業によるカースト&マウンティング(怖い)」など、(主にネットで)聞きかじるママ友に関する恐ろしい都市伝説の数々...本当にそんなママ友ディストピアがあるのかどうかは知らないけれど、ママ同士じゃないとわかりあえない、共感できない事象は確実にあった。
ママ同士だと共通の話題が従来の100倍に増え(当社比)、ママ友の前だと「母である自分」を隠さずに振る舞えるんだよね。これが大事で、子供関連の話題で遠慮なく盛り上がれるのはもちろん、目の前で授乳、おむつ替えしても気まずくないし、自分や友達の子供を気恥ずかしくなくあやしたりすることができる。
「うちの子の髪の毛のここが変なの」「一回のうんこの量が多くて大変」「最近こんな動きがマイブームで」
つまり「いかに自分の子がかわいいか」という、普通の他人からすると、超絶どうでもよい子供の話題を、ママ友同士なら共感し合いながら共有しあうことができるのが気持ちよいのです。お互いに。
そして目の前で子供がうんこ漏らしたり吐いたり、走り回ったり軽く怪我したり、なんかやっちゃっても、「あらあら」と、落ち着いてお互いサポートしあえるのが心強い。

そして母になってわかったことは、人の子供も可愛く感じるようになること。
自分の子より大きい子をみると将来の自分の子の姿を重ね、逆に自分の子より小さい子をみれば、昔の自分の子を重ねて懐かしむ。「ああ、私の子もこんな小さい頃があったなあ、懐かしいなあ、可愛いなあ」と思うんだね。生後3か月の赤ちゃんの母である私ですら、新生児の赤ちゃん見て、すでにノスタルジッてしまう。
赤ちゃん連れ歩いてると「あら可愛いわねぇ」とお婆ちゃんによく話しかけられる現象も、そのお婆ちゃんが遥か昔に自分が子育てしてたころを懐かしむノスタルジーと相まって、道ばたをたまたま歩いてる他人の赤ちゃんですら可愛く見えて声をかけずにはいられなくなるんだろうなあ。「私の孫はもうすぐ2歳なのよ」とか言われても「いや、知らねーし」とか思わず、優しく微笑み「そうなんですかあ、かわいいですよね〜」とか返すのが正解なのである。


保活について

ご多分に漏れず、保活をやりました。
新宿区に住み、渋谷で働くアーバンライフなため、保育園問題は妊娠時から悩みの種。結果的には、生後2ヶ月で0歳児4月認可保育園に預ける、というところに無事着地。早生まれだと何かと大変だけど、認可保育園に入れただけ御の字です。(生後2か月から保育園に預けて可哀想...とか言われても、家庭にはそれぞれの事情とそれぞれの親の性格と考え方いうものがあるのです)
保活は妊娠中からすべしとは、誠に恐ろしい真実で、産休入ってから、家から通える範囲の認証保育園に見学&仮入園申し込みに行くと、どこも0歳児だけで3桁レベルの入園申し込みがあり、「こんなの無理ポ」と思うわけです。みんなどんだけ保活に熱心なんだ...。
そして藁にもすがる思いで、家から行きやすくもない、2-3人で20人の0歳児を世話してるような無認可保育園に、(こんなところに娘を預けてまで働く必要あるのか...)と思いながらも入会金払って枠を抑えに行ったりしました。

ところがどっこい。
我が居住区の新宿区の認可保育園、蓋をあけて4月になってみれば、0歳児42人、1歳児47人の空枠があった。(2017年4月現在)
希望すれば誰でもどこかしら入れる状況だったということ!?一次募集の申込状況は確か定員120-130%超えくらいだったのに、どうなってるんだ...!
申込みだけして結局認可を辞退するお母さん、結構いるのかもしれない。うちは早生まれで二次募集申込だから、絶対4月に入所できるわけないと思って保活に苦しんでた矢先、二次募集で普通に自宅近くの認可に入所が決まり、私はなんて運がいいのだ!なんて思ってたけど、新宿区全体に余裕があるのね。新宿区に住んでたこと自体がラッキーなのかもしれない...
現在、0歳児7名(定員9名)に対して保育士4名、大変に手厚い保育環境で、うちとしては安心で嬉しいけれど、税金の使い道とか、他の居住区の待機児童問題とか思うと、いろいろ複雑な気分。

保活は、ポイント勝負の椅子取りゲーム競争なので、そらナーバスにもなります。

「住民税多く払ってる人はより高い保育料払う上に、入所の優先順位下がるとか、逆不公平じゃね?」とかさりげなく、もっと丁寧な感じで区役所の担当の人に聞いてみると、「まあ、福祉施設なんで...」と言われたり。そりゃ正論だけど、今の時代、考え方は変わってきていると思うし、今や保育園は共働きじゃないと生きていけない可哀想な家庭のためだけの施設ではない。

メディアも、1次募集結果発表の時期に #保育園落ちた な人を一斉に取り上げるので、待機児童超大変みたいな印象になってるけど、実態はもうちょっと違うんじゃないか、という気がしました。蓋を開けてみると、なんだかんだで入れてる人結構いるので、4月5月時点での状況も追ってほしいと思う。

とかグチグチ言いますが、保育園の料金は公的補助のお陰で、結果とても割安だし、うちよりずっと広い部屋でプロの保育士さんに手厚くしっかり面倒見てもらえて、私は仕事に復帰できて、もうありがたい限りです。

おむつや使用済みおむつを持って帰る袋にまで記名しろとあって「ゴミにまで名前書くのかよ...」「保護者会とかあるのか...」と軽くカルチャーショック受けつつ、私も保護者としていろいろ頑張らねば。

そんなわけで、保活問題に悩んでる人は、新宿区オススメかもしれません。

昼のワイドショー

どうしても昼からテレビを見る機会が増えるわけで、そうすると、どのチャンネル回しても似たようなクソみたいな昼のワイドショーしかないことに気づくわけです。

2017年のワイドショーネタは、ざっくり、トランプ大統領就任と発言の数々→金正男殺害→清水富美加出家、豊洲市場と百合子→森友学園、森友学園、森友学園!→北朝鮮の核ミサイル、千葉でベトナム人の女の子殺害、みたいな感じかな。

金正男殺害の時は、殺害手口や容疑者の素性について毎日毎日報道されてて(防犯カメラに写ってた殺害した犯人女性が着てたTシャツの「LoL」とはどういう意味か、をパネル使って説明してて、どうでも良すぎて死にそうだった)、よくもまあ、よその国のロイヤルファミリーが、よその国で殺害された事を延々と報道し続けるなあと思うし、森友学園問題に関しても、昭恵夫人が100万円を寄付したとかしてないとか、仮に万が一してたとしても何か法に触れるわけでもないし、辻本清美が学園内に入ったとか入ってないとか、もうどうでも良くないですか?国会議員の面々、主に野党の人たちはもっと他の仕事をして欲しい。国会答弁の貴重な時間と国の主要人物の貴重なリソースをくだらないスキャンダルの追求に費やさないで、もっと大事な仕事してくれないか?と本気で思って真面目に憤ってたりする。
ワイドショーはどのチャンネル回しても、その分野では素人の芸能人が、お茶の間の主婦に迎合するそれっぽいコメントをしてるだけのクソつまんない番組ばかりで頭が腐りそうです。坂上忍の顔が嫌いです。
テレビは、塚本幼稚園の「愛国唱和」な教育風景(あれはさすがにどうかと思うけど)にはネガティブに煽るくせに、一方で「日本人の心スペシャル」とか「海外で活躍する日本人」とか「世界で光る日本の職人技」とか、そういった「愛国ポルノ」な番組が最近多くないですか。そんな番組では「日本人の魂」を賞賛しているくせに、自民党のやることなすこと気に入らないメディアは矛盾していると思う。
あ、話それた。


子供専用Instagramアカウントのススメ

育休とかやってると、自分の話題の8割が子供になっちゃうわけで、FacebookとかInstagramに可愛く撮れた我が子の写真や動画を、ソーシャルメディアの友達のみなさんに共有したい衝動に何度も駆られるのですが、そんな子供だらけのタイムライン、うざがられてそうでアップできないんじゃ...という回避策として、鍵つき子供専用Instgramアカウントを取得し、生後1日目から毎日更新しています。これがまた良い。ここなら好きなだけ赤ちゃんの写真をアップできるし、他人の赤ちゃん見て癒やされる友達が、毎回いいね!してくれて、クローズドでエンゲージメントの高い赤ちゃんまみれの世界が築かれました。
私自身、何度も何度も何度も、過去に投稿された写真や動画を見ては「小さかったなあ」「可愛すぎる」などと、日々癒やされてます。


育休は神様からのプレゼント

育休は神様からのプレゼントで、あなたは私たちに舞い降りた天使...とか本気で思うようになります

と、同僚に言われて、あなたの神様は厚生労働省か!と突っ込みたくなったけど、いや、ほんそれ。
特に慣らし保育期間中の「会社に行かず子供は夕方まで保育園」状態(まさにこれ書いてる今)、最高すぎる。イッツフリーダム!!
1人でカフェでPC開いてるだけで楽しい。もう、このまま働かず、子供は保育園に預けて毎日遊び歩きたい...いや、そうもいかないんだ、チクショウ、働きたくない、すいません、嘘です!(それくらいテンションが上がる)

生後3ヶ月で仕事に復帰するなんて我ながら殊勝なことよ...、でも保育園事情や私の性格上(1年以上引きこもり育児生活に耐えられる気がしない)、これで良いのだと言い聞かせる。
そんなわけで、もうすぐ会社に復帰、心身のリソースがそれなりに会社に戻り、そしてこれから娘がますます活発になって、離乳食とか始まり、突発性発疹とか病気とかしだし、どんどん忙しくなってくるのが目に見えている。こんなゆっくり育児している自分の気持ちをブログに書く暇なんてなくなるかもしれないな。

でも働いてる女性で、これから妊娠・出産する人、したい人へ。
産休・育休は、今まで頑張って働いて、そして頑張って産んで育てる女性に向けたボーナスステージみたいな期間なので、楽しみにして良いと思う!

私は、今回も今の気持ちを忘れないようにブログに書いて、疲れたときに読み返して、初心に帰ろうと思う。そしてこの記事が少しでも他の人の参考になって、勇気づけられたらと思います。
そして、こういうことができるから私はブログは続けられんだな、と思ってます。

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第一印象=腹がでかい妊婦状態にまでなった私。長瀞にて。


2016年5月末に妊娠が分かってから、2017年1月下旬に第一子を産むまでの、エッセイ的な文章をブログに綴ります。
ちなみに川上未映子の「君は赤ちゃん」を読んで(全ての妊婦と旦那さんにお勧めしたい)号泣して書き始めたので、その小説に非常に多くの影響を受けた内容であります。
前編はこちら、中編はこちら


娘に毛糸の帽子をつくって被せたい

なぜか、その瞬間のことを想像すると気持ちが昂り強い感動を覚えて涙が溢れてきた。
冬に産まれたばかりの我が娘に、編み物なんて出来ない私が一生懸命作った可愛い帽子を被せたい。いくつか自分でも説明できない、その事を考えると涙が溢れてしまう「琴線」が存在するんだけど、本件もこれ。
帽子は何色がいいのかな。かわいい優しいピンク色かな。かぎ針編みが良いのかな?
これから会う赤ちゃんのために、一針一針大事に心を込めて、編み物をしたい...!
こ、これが...母性の目覚めというやつかしら...

そういや19歳の冬、当時付き合ってた人にクリスマスプレゼントととしてあげるため、マフラー編んでたことを思い出した。
「音楽に集中したいから別れたい。クリスマスは家族と過ごすから会えない」とか言われ、それでも起死回生の気持ちでマフラー編んでたんだっけ。嗚呼、あの頃のじぶん、痛すぎて悶える...。そもそもなんだよ、音楽に集中したい、クリスマスは家族と過ごしたいって。死ね。
まあそんなこんなで、南武線車内でマフラー編んでたところ、隣のオヤジに「ガタガタうるせーんだよ」とキレられ逆ギレした事もあったっけ。その怨念こめて編んだマフラーは彼に渡すことができたけど、やっぱりクリスマス前に別れた。
でも数年後、社会人になってからかな?飲み会で再開した時にそのマフラーはしばらく大事に使ってたという話を本人から聞いた。ちょっと救われたし、なんというか、何かを乗り越えたよね。今思い出すくらいには、思い出深い、私の編み物の記憶なのだった。それ以来編み物してない。話が脱線しちゃった。


そして母の力も借り、頑張って編み上げたかぎ針編みの帽子。飼ってるオカメインコのモモちゃんカラー、独特の配色。へたくそだけど超かわいい。かぶせるのすっごく楽しみ。


妊娠後期

見てはいけないもの、見たくなかったものが下腹部に確認できた。それは、It's 妊娠線、yes, stretch mark! Ahhhh....!
でかい腹の影に隠れて見えないから油断していた。これ以上延焼しないようにしなくては、これ以上増えませんように。私の下腹部の皮膚さまお願いします。(結果としてさらに延焼したのだが...辛い)

妊娠後期となると、正中線がへその上にまで伸びていたり、シミが増えたり、体中のメラニン増幅、腹はますます膨れていよいよ「靴下はけない」みたくなり、寝るときも横向きにしか寝れないんだけど、下にしている方の部位が圧迫されて辛い。腰も痛い。体がますます重い。ていうか35週時点で11キロは体重増えてる。
前に治療した歯根が悪くなってしまい、保険効かない薬を入れるから治療に5万円かかる、歯医者に次回現金で持ってきてください言われたときの顔もした(ちなみに、ヤブ医者でもないし、その高い薬は効果テキメンでした)。
妊娠10ヶ月近く、いよいよこれまで通っていたレディースクリニックでの健診が終わり(早くて安くて良かった...全部で40分くらいで終わって毎回ゼロ円〜3500円くらいで済んでいた)、健診も1週間おきとなる。産む病院である女子医大の健診はトータル5時間弱かかって、会計機には17,000円の請求金額が現れ、放心しながらクレジットカードを挿入したりもした。さすが大病院様デスネ。

でもそれらはただの愚痴であって、母子ともに健康で極めて順調で、どこかで落とし穴があるんじゃないかと思うくらいだ。
夜、2-3時間おきに目は覚めるけどすぐに寝れるし、頻尿だけど夜中にトイレに起きることはあんまりない。食欲もある。ふるさと納税で青森のどっかの自治体から届いたたくさんのりんごを毎日シャクシャク食べてた。
我が子は検診行く度に「極めて順当」な大きさですくすく育ってる。エコー写真が楽しみだったのも初期だけで(胎動もない妊娠初期は、我が子の様子が確認できるのは、3週間に一度の健診のときだけだったのだ)、後期のエコー写真はもうなにかの「影」しか認識できず、夫に見せてもよくわからない反応をされる。私も「顔らしき影」を説明するも、はっきり言って全然よくわからない。

胎動もピクピクからポコポコへ、そしてボコボコぐにぐにと、まあ良く動く。腹芸かと思うくらいうねうね動くお腹が愛おしい。「元気だねー。狭そうだね。早く会いたいなー。でもあと1ヶ月はそこにいてね。」と話しかける。この腹の中がぐにぐにと動くこの感覚、もし次の妊娠がないとしたら、実に今しか味わえない感覚なんだなあ。

27週から30週まで逆子で、もしかしたら帝王切開になるかも...と、逆子に効く鍼灸行ってみたり、逆子体操してみたり、医療保険で入院時の個室の差額カバーできるから逆にラッキーだもんね...などと調べ込んだりしていたけれど、32週には治っていた。良い子だね。


産休

12月10日、会社の大行事、250人集めるクリスマスパーティーの日を最後に産休に入った。ギリギリまで皆と一緒に元気に働けたことが嬉しい。最後まで、仕事を過度に与えられることも奪われることもなく、自分のペースでもちゃんとお仕事させてもらえてありがたかった。復帰後も帰る場所があって嬉しい。会社に行けなくなって寂しい気持ちもあるけれど、とにかくここまで走りきれて良かった。
産休に入ったら、社会に関わらない寂しさから発狂するんじゃないかと思ってたけど、そんなこたあなかった、すぐに慣れた。産む前の産休は最高だ。
朝ゆっくり好きな時に起き、自分のペースでできるギズモードのライターの仕事も継続できるし、あさこさんと銀座で優雅にランチしたり、編み物したり、セルフマタニティフォト撮影、確定申告の書類整理、自分のブログのリニューアル作業、久しぶりに都内でゆっくり過ごす年末年始には初めておせちをつくったり、そしてもちろん赤ちゃんを迎える準備をしたり、保活、そしてだらだら過ごしたり...etc。
PlayStation VRも買えてしまった。しばらく遠出は出来ない代わりに家からVRの世界に旅立つことができてしまう。Rez Infinite最高。PSのハードウェア代85,000円なんて、ちょっと旅行とか帰省したら飛んでくお金なので、まったく問題ないということにしている。
忙しくないけどやることいっぱいあって、ひとことで言うと産休最高、雇用保険ありがとう。働いてないのにお金くれてありがとう。
日本のサラリーマンの待遇の良さといったら!この恩恵にあずからない手はない。雇用保険払い続けてきた甲斐あった。


この世の全ての人間には母親がいる

ヒトがホモサピエンスとして、類人猿でアウストラロピテクスでクロマニョン人だった何百万年も前から、ヒトは交尾して雌の卵子で受精し妊娠して子どもを産み落として、星の数ほどの祖先が存在し今に至っている...と思うと、地球上で今までどんだけの出産が行われてきたんだろう。何兆・何京・何垓か知らないが、星の数ほど出産が行われ、それぞれの出産にはそれぞれのドラマが存在したのだろう。

昔は、男女ともに強くて健康で、性的魅力があって生殖能力がある人ほど、モテたんだと思う。
今ほど相手を吟味することなく交尾して、妊娠・出産一直線、産んで育てられなければ切り捨てられ、その子どもを次世代につなぐことができるかどうかで、女のヒエラルキーの頂点が決まってたんじゃないかと想像する(大奥的な)。昔は文字通り命がけで出産して、母親が出産と同時に死ぬこともあれば、子どもは様々な事情で大人になるまでに命を落とすこともあっただろう。
でも現代は、医療の力で妊娠したらかなりの確率で子どもを産むことが可能になった。高齢でも出産できるし、万が一赤ちゃんに疾患があっても生きられるようになった。さらに(特に日本などの先進国においては)、[好きな人できる]→[付き合う]→[結婚にいたる]→[子作りして妊娠する]→[無事出産にいたる]というプロセスが必要で、それぞれに大きなハードルが存在する。昭和までは[結婚にいたる]までのプロセスをスキップする「お見合い」が当たり前だったのに、自由恋愛結婚が主流となる現代は本当大変。最初の段階の好きな人できて付き合うだけでもすごいことなのに、婚活とか、妊活とか...そりゃ晩婚化するし少子化にもなる。(東京タラレバ娘的な)

どんな天才科学者も、どんな天才アーティストも、人間を創造することはまだできない。
人工知能やロボット工学やバイオ領域のテクノロジーで「極めてヒトに近いモノ・能力」を再現できるようになってきたとしても、今昔のアーティストの天才的な視点で「ヒトを表現するアートな何か」を創造したとしても、それらは、完全な人間の代わりには(まだ)なり得ない。
いまだ人間を創ることができる唯一の方法は、人間の男女が交わり受精し、女性の胎内で胎児を育て産む以外にない。
だから、出産ほどクリエイティブなことはないし、育児ほどグロースハックなことはないのだ...などと何百万年も前からの地球の人類の常識をそれっぽく考えてみる。


出産前夜

予定通り無痛分娩前日昼に入院、諸々の検査に点滴の針を刺され(痛いねこれ)、子宮口広げる処置(しんどかった...でも陣痛の痛みに比べたら屁みたいなもんなんだろな)をし、ずっと子宮ふきんが生理痛のような感じ。生まれて初めての入院生活初日は、赤ちゃんの元気な泣き声が絶え間なく聞こえる賑やかな産科病棟でも、やっぱり病室は辛気臭く、生気が減って行く感じある。
いよいよ明日。泣いても笑ってもついにここまでやってきた。
進捗率99%、今日の今まで、非常に順調なプロジェクトだった。このまま元気な赤ちゃんが無事産まれてきますように。
妊娠がわかってから9ヶ月、私の胎内でずーっと、健やかなる時も病めるときも寝てるときも食べてるときも、肌身の中で離さず育ててきた我が子はいよいよ、明日、外の世界に産まれてくる。
明日は彼女の長い長い人生の幕開けの日であり、そして私も人生の第二幕が始まる日。そしてアメリカではトランプが大統領就任する日(知らんけど)。

今日までお腹の中の我が子と一緒に過ごした日々を忘れないよう、こんなエッセイをつけ始めました。

いよいよ明日、ついにあなたに会えるね。ずっと会える日を楽しみにしていました。
これだけは今から言えるけど、私はあなたの事が大好きです。
お母さんは、これからあなたを全力で愛し、あなたが健やかに成長する手助けをしていくことを約束するから、安心して出ておいで。
それでは明日、一緒に頑張ろう!


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もらったり、自分で入手したり、安産守コレクターと化した。全部持ち歩いていた。

2016年5月末に妊娠が分かってから、2017年1月下旬に第一子を産むまでの、エッセイ的な文章をブログに綴ります。
ちなみに川上未映子の「君は赤ちゃん」を読んで(全ての妊婦と旦那さんにお勧めしたい)号泣して書き始めたので、その小説に非常に多くの影響を受けた内容であります。
前編はこちら


妊娠5ヶ月、ベトナムへ旅行

「これが最後かもしれないから海外旅行、行き先はリゾート」ということでベトナムはニャチャン、一日中調べ尽くして見つけたリゾートに、妊娠5ヶ月に入った9月中旬に行って来た
面倒なので親には言ってない。お医者さんに一応念のため聞いてみると、当然行かない方が良いと言われる。そりゃそうだ。自己責任にもほどがある。
海外で、切迫早産とか万が一のことにでもなると、医療費だけで数百万円〜数千万円のお金がかかるのも覚悟しないといけないわけで、さすがに普段は入らない海外旅行保険に入っておく。AIUの海外旅行保険なら、妊娠22週までなら万が一医療のお世話になっても保険金が出るそうなのだ。
行きも帰りもJALのプレミアムエコノミー(当日1万円のアップグレードだから、トータルすごい安い。ベトナムって安くて航空券時代は1人往復6万程度だったし)で行き、基本タクシー移動、ホテルもまあまあ良いところに泊まってるので、なんら辛いことはない。でも暑さには滅法弱いので、特にハノイではすぐにヘロヘロになった。
リゾートでは、海、プール、マッサージ、最後の子なしの自由を楽しんだ。お腹が多少でかいビキニ妊婦も誰も気にしないし、実にのんびりと、非現実を存分に楽しんだ。
しかーし。いざ帰国する日、若干腹が不調になり、それに伴ってかお腹の張り(それまで張りという感覚が良く分からなかった)を感じはじめる。
ただただ不安な状態でニャチャンからLCCでハノイ着いて、そこから成田行きに乗り換える。「腹痛、妊娠中期」でググりまくってた。
なんとなく体調良くないまま無事帰国し、翌日産婦人科で念のため様子を見てもらうも異常なし。ほぼ杞憂だったんだろうけど、やっぱり未知で初めての事ばかりは焦る。大事に至らなくて本当に良かったよ。切迫早産になったらどうしようかと本気で怖かった。これから、赤ちゃんの初めての病気とか、毎回ビビりながら乗り越えるんだろうなあ。
(でも楽しかったし行って良かった、後悔はしていない)

マタニティ服

安定期に入り、腹の膨大化がいよいよ凄まじい。もう着れるボトムスがない、家でラクに着る服がまじでない。
そんなわけで、観念してネットで買った無印のマタニティ仕様のガウチョパンツが届く。ゆったりした腹巻きつきのボトムス。早速履いてみる。
「おお...なんと楽なんだ...」
初めてのマタニティ服、さすがその名の通りだけある。妊婦の腹に最適化された素晴らしい設計だ。実際に着てみるとわかる、この、快適さが!マタニティ服の着る期間は本当に限られてるし、ダサいし、できるかぎり避けていきたかったが、そうはいかない、まだあと5か月弱も妊婦やってなきゃいけないし、腹のでかさも体重もまだまだ序の口なのである。しかし、ネットで寝ながらiPhoneで服ポチって、一日で届く世の中、便利になっだものだのう。
無印のマタニティウェアのほか、H&Mもマタニティ服充実している。H&Mの新宿店のマタニティコーナーはなかなかの品揃え。冬にかけての妊婦だったので、タイツ・レギンス・黒いスキニーパンツは無印やH&Mで揃え、トップスは既存のゆったりしたニットやワンピースで乗り切った。
下着類は全てユニクロのブラトップとウルトラシームレスパンツ。4年前の世界一周旅行の時の下着として取り揃え、その時から臨月まで、そしてこれからも、インナー類は全部ユニクロ、全部同じものでいく所存。マタニティパンツとか授乳ブラとかも買わなくて良いのだ。いつでも同じものをすぐに買い足せる安心感も最高。キャミソールタイプのブラトップはお腹冷えないし、夏は胸のあいたワンピースだってサラッと着れるの良し。ウルトラシームレスパンツもゴムじゃないので苦しくなく履き心地が良い、パンツラインが透けない、そしてすぐに乾く、薄いから荷物にならない、全てを兼ね備えている。


妊娠中期

体調も良く赤ちゃんも順調で、相対的に極めてラクで楽しい妊婦生活を送っていた。
ベトナムのリゾートに旅行行ったり、ついに人生初のマイカー買ったり、iPhone 7 Plus買ったり、茨城行ったり飛騨行ったり、飲み会ではレモンサワー焼酎抜き(つまりただのレモンソーダ)を飲んだり。仕事も遊びも今まで通りには行かないなりに、物欲と食欲をお金でカバーしてる感。

女の子であることも9月頭に判明し、名前も早々に定着してしまった。 性別がわかった時点ですぐさまアマゾンで女の子の名前辞典を買って、ベトナムに持って行って、夫とパラパラめくりながら、あれもこれも微妙な中、ピンときた名前がひとつだけあった、そんな由来。

これといったトラブルもなく、極めて健康。
胎動も最初はピクピク(?)程度だったのが、次第にポコポコし出す。他の人に比べると胎動も激しくない気がして、痛いとか全然ない。大人しくってよく寝る子なのかな。それだったら手がかからなそうで良いな。
腹の膨張度合いも加速度的で、先週着れたと思ってたはずの服が着れなくなったり、鏡で見る度に、明らかに面白いほど腹が大きくなってきている。
もう産まれそうなくらいでかいねと言われたりするけれど、私もそう思う。お腹、ずいぶんでかいと思う。このままあと3ヶ月も育て続けるとか、最後どうなってしまうのか...。(思い返せばこの頃のお腹は臨月に比べれば序の口も良いところだったぜ)
食欲もかなり増してきた。特に甘いもの、炭水化物への渇望。糖分を体が求めているのだね。
ついにFacebookにご報告したけど、500件以上のいいねがついた。

妊婦だからってあれもこれもダメなんて思わない

あれは食べてはダメ、これをしてはダメ。妊婦における制限事項は山ほどあるけれど、日本における妊婦生活情報におけるリスクヘッジの多さたるや、辟易する。
あらゆる情報は「基本は○○しても問題ないと言われていますが、100%安全とは限らないので、心配ならやめておきましょう」というスタンス。
例えば妊婦が温泉に入れない科学的根拠はないけれど、のぼせて体調崩されたり、滑って転ばれたりしても責任はとれません、だから妊婦は温泉お断り、みたいな感じだ。
自分の体の問題だけではなくなり、新しい命に関わる全く経験のない未知の領域だから、安全が保証されないことはすべきでないとだいたいの妊婦は思う。子供を守らねばという母性が働き、さまざまな外的要因に過敏になる。それが本当に大丈夫か大丈夫じゃないのか判断できないから、とりあえず辞めておこうとなる。
でも妊婦だからって、なんでもかんでも制限される筋合いは無いと思う。もちろん「大丈夫」な範囲の個人差はある。夜更かししたって、コーヒー一杯くらい飲んだって、飲み会で一杯くらいお酒飲んだって、お刺身食べたって、安定期に海外旅行に行ったって、車の運転の練習したって、自転車に乗ったって、健診に行くたびに申告する体重を適当にごまかした(おい)って、私は大丈夫だと思ってるからそうした。それでなんかあったら自己責任。
私に関しては、それでまったく問題はなく、赤ちゃんはきわめて順調に育ってるし母体も相対的に極めて健康だ。
日本には海外ほど自己責任文化がないため、なんかあったらその情報や商品やサービスを提供した企業の責任となりやすい。なぜか日本の消費者はそこに過敏になりやすい。だから企業はリスクヘッジをしないといけなくなる。
正月に餅を喉に詰まらせて死ぬ老人が毎年発生するのに餅は禁止にならず、マンナンライフの蒟蒻畑は発売停止に追い込まれるみたいな。
だから日本は次第に世界に置いてけぼりにされて、イノベーションが起きないんだよ...と意識の高い愚痴はさておき、なんでもかんでも過敏にならなくても大丈夫だと思う。けど「大丈夫の価値観は人それぞれ」でございます。(はい、リスクヘッジ)


男の人はずるい

男女雇用機会均等とか、女性が輝く社会とやらはどれだけ実現してるか知らないが、少なくても私は性差なく働ける環境に恵まれている。
妊娠するまで、女性であることのコンプレックスなんて感じたことなかった。むしろ得だと思ってたし、産休入るまでかなり元気に動けて働けて、相当やりたいことやっていた方だと思う。
それでも仕事から少しずつ距離をとらないといけない寂しさ、飲み会やパーティーに誘われなくてお酒を飲めないコンプレックス、体力無くて動き回れないストレスが常につきまとう。
Facebookをみれば楽しそうな飲み会写真をアップするロートル達に嫉妬し、仕事に心身打ち込むことが叶わない自分に苛立ち、そんなんだから、仕事に対するマインドセットも保守的になってくる。
妊娠期間は「自分が主役の人生物語」から降りる準備期間なのだろうけど、まだ受け入れられない。

男の人は良いよなあ。
射精するだけで赤ちゃん産んでもらえるんだもん。
思春期に入る頃から初潮が訪れ、毎月毎月律儀に股から血を流し、痛みや不安定な情緒に耐えるあの忌々しい生理だって、子供を産み育てるための、女性の体に与えられた機能のうちのひとつに過ぎないのだ。
そして妊娠したらしたで、つわり、だんだん膨れて重くなる腹、でかくなる尻、痛くなる腰、情緒不安定、妊娠線を恐れて毎日オイルを塗りたくり、外出すれば階段を見るたびに絶望し、そしてそして、激痛の末に赤子を産み落とし、出産の回復もろくにしないまま、24時間怒濤の赤子の世話が始まるのだ。授乳してオムツ替えするマシーンになり果てるというではないか。
友達には「今の3ヶ月が夢のフリータイム期間だよ、楽しんで!」なーんて言われ、今まで通りの生活を送れないコンプレックスなんか屁みたいなもんなのだ、と自分に言い聞かせても、やはり面白くない。

そもそも筋力や体力が女性より勝る男性が「働く」上で優位に立てるのは、たぶん戦前まで、もしくは昭和末期のバブルまで。
現代の日本では知能労働が主になる昨今、体力仕事は労働賃金が安い国やロボットが肩代わりし、酒飲んで上司おだててなんぼな昭和的な男性的な飲み二ケーションだってずいぶんなくなってきた。
つまり、ホワイトカラーでいる以上、働く能力における純然たる男女差はもう無いはずなのだ。
でも女性には男性には無い機能、子供を孕んで産んで母乳出す能力が備わってる。こればかりは、どの男もロボットもAIも肩代わり出来ない、女性だけの唯一無二の機能。(肩代わりという意味だと、究極的には精子バンクから体外受精した卵子で代理母に産ませて、ベビーシッターに育てさせるということも可能だけど)
この機能があるばかりに、女性は子供を産み育てるために一度は社会から身を引き、次世代を担う子供達を育てる任務を半ば強制的に全うしないといけないのだ。
それでも今の時代は昔に比べればずいぶん恵まれている。保育園問題とかいろいろあるけれど、課長島耕作の時代は、女性は寿退社して家庭に入って子供を育て夫を支えるのが当たり前の世界が描かれている。

でもやっぱり男の人はずるい。
射精するだけで可愛い我が子を手に入れることができ、ちょっと家事育児を手伝っただけでイクメン扱いされる。
働く能力も十分にあり、子供を産む機能も持ってる女性の多機能さというか、、、負担の大きさたるや!
私だって思いっきり働きたいし遊びたいし子供も欲しい。
社会が急激に変容して過渡期にある現代。性差と社会的役割が多様化している。
そこで言うと女性差別もすごいけど、その分女性が守られるイスラム世界はある意味合理的なんだろうな。なりたいとは思わないけど。


妊婦でいることは良いこともたくさんある

このエッセイ自体が自分がネガティブなモードの時のはけ口として書かれている側面もあり、恨み節がところどころににじみ出ているのだけれど、妊娠期間中、常に鬱々としていたわけでは断じてない。
自然に妊娠してお腹の中で順調に育ててることを誇りに思うし、どんどん膨張する腹に恐れおののきながらも、我が子が元気に成長している証を喜ばしく思う。胎動がどんどん感じられるようになり、ますます愛しいし早く会いたい。
ブロガーの集まりとか、大勢の人が集まるような場で妊婦姿で現れると、みんなに「おめでとう」と言ってもらえて、ちやほやしてもらえるのは今だけのプライスレス。こういう場でお酒飲めないのもずいぶんと慣れてきた。ノンアルコールビールでもジュースでも充分に楽しい(でもビールをごくごく飲んで、美味しいワインに舌鼓を打つ日を心待ちにはしている)。
「妊婦さんがいるだけで幸せな気持ちになる」とか言ってもらえると、今だけの自分の特別な個性というか存在意義が感じられて、私も幸せな気持ちになる。今だけの、妊婦というステータス(しかも初産はなおさらな気がする)は、強烈な個性なのだから、存分に楽しまないともったいない。


きみは赤ちゃん
きみは赤ちゃん
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川上 未映子
文藝春秋
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初めて産婦人科で撮ったエコー写真。ゴマ粒大の影が赤ちゃん。

2016年5月末に妊娠が分かってから、2017年1月下旬に第一子を産むまでの、エッセイ的な文章をブログに綴ります。
ちなみに川上未映子の「君は赤ちゃん」を読んで(全ての妊婦と旦那さんにお勧めしたい)号泣して書き始めたので、その小説に非常に多くの影響を受けた内容であります。

妊娠発覚?産婦人科にいく

2016年5月下旬。
生まれてはじめて妊娠検査薬を使って陽性だった日から、まだ誰にも言えない秘め事喜び事を隠してるような感覚でソワソワしていた。
もうすぐ35歳、今年妊娠できなきゃ高齢出産待ったなし、子無しの孤独なおばあさんになるのは避けたかった。実は自分の妊娠力を調べにそれ専門のクリニックで検査してもらったりもしていた。(結果なんの問題もなかったのだけれど)
会社に出社しても、なんとなくお腹がしくしく体調が悪いような気分になっていたし、産婦人科に行って確かめる日までずっとソワソワ。だって、まだ赤ちゃんできてるとは限らない。知らずのうちに流産してる可能性もあるわけで。「妊娠初期 流産」のキーワードで検索しまくり、嘘か本当かわからないネット情報を読み込んだ。しかし、自分の赤ちゃんが子宮の中にいるかもしれないとか、なんてすごいことなんだろう。
すぐ近所の友人にどの病院が良いのかとか、今から分娩する病院決めて予約すべしとか、とにかく「今」必要な情報を集めはじめる。
妊娠・出産は未知のことだらけ。インターネットでなんでも検索できる時代だけど、こういう時はやはり信頼できる身近な友人の言うことを聞いてしまう。とりあえず妊娠本と葉酸サプリをアマゾンでポチッと。

数日後、勧められた個人のレディースクリニックに行ってみる。小さいながらも経験豊富な産婦人科医の先生が都心に開業した普通のクリニック。
「ちゃんと赤ちゃん、いますように」ドキドキドキドキ...
祈りながら、下半身丸出しで産婦人科の例の診察台に腰をかけ、両足パカーっとお股全開に。
この時点から、女性としての尊厳は少しずつ麻痺し、母親になる準備が始まるのだ。
「赤ちゃんいますね。子宮の中で妊娠成立しています」
泣ける。いた!嬉しい!涙目。
子宮外妊娠とかしてなかった、よかった...。確かにゴマ粒みたいな黒い影が存在してた。妊娠成立してた...
このときすでに妊娠5週、2ヶ月目に入る。(妊娠週数の数え方って不思議なんだけど、まだ受精もしてない最終月経日から1ヶ月目が始まっている)
心拍確認できるまで、まだまだ余談を許さないけれど、私、妊娠してた。すごい。ちゃんと女性として妊娠する能力、あったよ!
夫には泣きながら電話。喜んでた。
とはいえ、妊娠12週までに流産する確率は15%あるらしく、まだまだぬか喜びも出来ない。
嬉しいのと不安な気持ちが入り交じるけど、でも嬉しい気持ちが勝ち。
ついに私もお妊婦さん。


妊娠初期のわたし

幸いにも、つわりは軽かった。
突然「うっ」となってトイレに駆け込むとか、毎日がひどい二日酔いとか、気持ち悪くて水も飲めないとか、トマトばっか食べるとか、そんな状況になるのではと戦々恐々してたけど、思ったより全然平気だったので良かったのだった。(そんな辛いつわりを体験して仕事サボったり看病されたかったという気持ちもなくもなかった)
もちろん、それなりに体調は悪く、えづいたり、軽いめまいがしたり、お腹すくと気持ち悪くなったり(軽く食べづわり)、夜は疲れ果てたり、眠かったり、やる気なかったり。階段や上り坂はもう絶望的にしんどくて息切れするし、暑さ・日光にも弱くなった。重力と太陽(=地球の原始的な環境)に耐えられない弱者に成り果てた感はあった。
でも言うほど生産性落ちなかったし食欲もあった。総じて、軽い二日酔いが続いて著しく体力が無くなる感じだった。でも臭いトイレはかなりトリガーで、おしっこしながら超えづいてた。
自称・持病は二日酔いの私だったので、体内に異物がどんより紛れ込む気持ち悪い感じに慣れてて、だからつわりの症状も大してつらく感じなかったのだと本気で思ってる。会社来て座って仕事するぶんには意外に大丈夫だったし。
必要な人へは妊娠報告もし始めていた。
会社の人達は本当に理解のある人しかいないんじゃないかっていうくらい、受け入れてくれたし、気も使ってくれた。体力使いそうな仕事は自然に避けてくれたし(面倒くさい仕事避けるのもともと特技だったけど)、謎のモラハラ、マタハラ、そんなものとは無縁な組織で実に良かった。
とはいえ、当然ながら気力体力は落ちるので、生産性は妊娠前と同じというわけにはいかない。どうしても保守的になって、新しいチャレンジに取り組む気概はなく、自分のコントロール下に収まる仕事しかしたくなかった。でもそれもしようがないよなあ。きっとそんなに迷惑はかけてなかったと思うし。
おかげさまで、軽いつわりも徐々に消え、体力も少しは回復し、でもその分腹もでかくなっていくのであった。
でもいわゆるマタニティブルーは患ったのだった。


ホルモンと情緒

一方ホルモンバランスの乱れとやらの情緒不安定はそれなりにひどかった。
例えば、仕事帰りの家の最寄り駅の改札をでるところ、向こうから改札に入るおじさんにバンっと改札をとられ、私は改札迂回するという、非常にたわいもない事があったのだけど、それがトリガーで泣き出す始末。「あんなにバンってすることないじゃん...」わけわからんけど、めそめそ泣きながら家までの帰り道の坂を登った。道行くもの全てに傷つくギザギザハートの妊婦だった。
産婦人科で心拍確認、妊娠確定のお墨付きもらって、その足で母子手帳もらいに行った日。ついに晴れて妊婦の仲間入りできたことが嬉しく、晩ごはんつくって待ってたのに、夫の帰りがやたら遅い。そのことに異常なまでに腹を立てて、ギャン泣きした夜もあった。
「妊婦にそんな態度をとるなんてひどい」被害妄想を発動しがちな日もあった。全ては私の意思とは関係なく乱れるホルモンさんのせいであって、私のメンタルのせいではないと、他人事のように思ってみたり、思わなかったりしていた。


あさこさんも妊娠

私が妊娠8週ごろ、なんとあさこ食堂のあさこさんも第二子を妊娠してることが判明。こんな奇跡が!!!起こるとは!
あさこさんは一番の友だちと言っても過言ではなく、料理、子育て、ライフスタイルの師匠みたいに思ってて、すごく気が合うし、お互い好きなのだ(と少なくても私は思ってる)。私が真っ先に彼女に妊娠報告した時には「わたしも2人目欲しくなっちゃった、そしたら同級生だね」なーんて言われてたんたんだけど、1月産まれの我が子と同級生にするなめには、あと1-2ヶ月で受精して着床して成立しないといけないんだから、そんなのできたら奇跡だねなんて思っていたら、そんな奇跡が現実になった。月齢も極めて近い妊婦友だちになってくれるなんて、同志で戦友で親友、もう一生一緒にいたい、くらいです(笑)
会社でも、仲の良い同僚がほぼ同時期に妊娠してて、会社では挨拶のようにお互いの腹を触り合いきゃっきゃしてるのも楽しかった。身近に妊婦の同志がふたりもいるし、会社の人達も受け入れてくれているし、夫も協力的。こんなにも周りの人にはとても恵まれているのに、ホルモン情緒不安定を患う困った人間なのだった。


無痛分娩にする

産む病院は、東京女子医大で無痛分娩にすることに決めた。
女子医大は家から近いこと、大病院なので何かあっても安心できること(一応、高齢出産ですし)、元同僚から紹介してもらえたこと、外来病棟がザ・大病院ぽくかっこよくて、タリーズとかコンビニがたくさんあってここに入院したい!とワクワクしたこと、そしてなにより無痛分娩に対応していることから選んだ。
通っているレディースクリニックのお医者さんに紹介状を書いてもらって、妊娠4ヶ月の時点で産科外来を予約、受診、分娩予約を行う。女子医大での無痛分娩を希望する場合、産科麻酔ができる医師の都合もあり、完全なる計画分娩となる。出産の日取りを妊娠4ヶ月の時点で決めて予約をする、つまり、2017年1月の出産日(=子の誕生日)を、2016年7月時点で決定してきたのだった。「予定日のだいたい1週間位前に産んでもらうのですが、無痛分娩できるのは○曜日と○曜日ですので、どっちがいいですか?星座も変わりますねぇ〜」みたいな案配だったのでちょっと戸惑った。
女子医大の無痛分娩は、分娩前日に入院、検査やらなにやらして、股に子宮口が開きやすくなるようにバルーンを装着して就寝(まじか)、お産当日は朝から陣痛促進剤を点滴して人工的に陣痛を起こし、背中から硬膜外麻酔も入れて、まったく無痛の状態でお産が進むのを待ち、うまくいけば夕方に、だいたい夜には出産できるという流れ。そう、計画した日に、いつくるかわからない陣痛に怯えることなく、無痛の状態で、人工的にするん!と産んで、我が子に会えるという素晴らしいプランなのだ。
麻酔した状態で全然痛くない状態で、10ヶ月間で3キロにまで育ててきた赤子を産み落とすって、絶対気持ちよいはずなんだよね...。麻酔で下半身が浮いた感覚の中、10ヶ月貯め続けた3キロのう○こを一気に出すような感じだと勝手に想像している。そんな都合良く行ったら最高だよ...何もかも都合良く安産で産まれますように。

お産は自然で産むべき論、お腹を痛めて産んだ我が子こそ本当に可愛いのだ論、無痛や帝王切開で産むなんて母としてダメなのだ論、そういうこと言ってくる人は周りには皆無で良かったけど、そんな人いてもガン無視するつもりだった。だって、現代医療をもってすれば、完全に管理された安全な状況下で、いつくるかわからない陣痛に怯えて過ごし未知の激痛に耐えて耐えて耐えて耐えた後に、死にそうになりながら子どもを産み落とす...という苦労をしなくていいんだったら、それに超したことないじゃないですか...。ヨーロッパやアメリカでは無痛分娩での出産が主流だと聞きますし、そっちの方が合理的だと思うわけです。
まあ、お産に関する考え方は人それぞれ、価値観の違いで宗派の違いのようなものだ。


マタニティマーク

妊娠5か月まで、席を譲ってもらえた回数はトータル3回。はじめてマタニティマークつけた朝、銀座線と南北線でそれぞれ女性の方に譲ってもらえて、世の中なんて優しいんだと感動したけれど、それはビギナーズラックみたいなものだった。
リュックにつけてるからまず気付かれない、私の服装も見た目も妊婦感無い、というところはあるにせよ、だ。実のところ別に今すぐ座りたいほど辛い訳でもないけど、さ。
妊娠初期における、リュックのマタニティマークはまじクソ意味ねーという結果になった。

そして次第に腹がでかくなり、妊娠中期になりどうみても妊婦な姿になると、譲ってもらえる機会も増えてきた。割とチャラい外観の人の方がスッと譲ってくれることが多い気がする。ヤン・チップチェイスのサイレント・ニーズ的なデザインリサーチ気取りでマタニティマークをつけての都内の電車に妊婦が乗車するというフィールドリサーチが趣味のひとつと言えるようになった。(悪趣味)

我先に優先席座る人とか、優先席でスマホしか見てない人、そして目をつぶってる人、すごい多い。そんな人は実社会でも気の利かない、普段は抑圧されて生きてる可哀想な労働者、もしくは日本社会に馴染みのない外国人とみなすなどして、生存者バイアスさながら、優先席でそういう奴らの目の前に立ち(文字通り)見下す妊婦、それが私だった。
本当に周り見てない人って結構いるものです。そういう人には「どうか出世しませんように」と心の中で呪いをかけた日も何度かあった(なぜかサラリーマン前提)。
優先席座るなら、周囲に「優先すべき人間」がやって来やしないかどうか、寝てないでスマホばっかみてないで、気を張っておくべきと思うんだなあ。電車にわざわざ優先席も設けてマタニティマークも仕組みとして完備してるくせに、機能しないジャパンの社会を存分に体感したのであった。


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きみは赤ちゃん
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