わたしの妊娠記録(前編)

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初めて産婦人科で撮ったエコー写真。ゴマ粒大の影が赤ちゃん。

2016年5月末に妊娠が分かってから、2017年1月下旬に第一子を産むまでの、エッセイ的な文章をブログに綴ります。
ちなみに川上未映子の「君は赤ちゃん」を読んで(全ての妊婦と旦那さんにお勧めしたい)号泣して書き始めたので、その小説に非常に多くの影響を受けた内容であります。

妊娠発覚?産婦人科にいく

2016年5月下旬。
生まれてはじめて妊娠検査薬を使って陽性だった日から、まだ誰にも言えない秘め事喜び事を隠してるような感覚でソワソワしていた。
もうすぐ35歳、今年妊娠できなきゃ高齢出産待ったなし、子無しの孤独なおばあさんになるのは避けたかった。実は自分の妊娠力を調べにそれ専門のクリニックで検査してもらったりもしていた。(結果なんの問題もなかったのだけれど)
会社に出社しても、なんとなくお腹がしくしく体調が悪いような気分になっていたし、産婦人科に行って確かめる日までずっとソワソワ。だって、まだ赤ちゃんできてるとは限らない。知らずのうちに流産してる可能性もあるわけで。「妊娠初期 流産」のキーワードで検索しまくり、嘘か本当かわからないネット情報を読み込んだ。しかし、自分の赤ちゃんが子宮の中にいるかもしれないとか、なんてすごいことなんだろう。
すぐ近所の友人にどの病院が良いのかとか、今から分娩する病院決めて予約すべしとか、とにかく「今」必要な情報を集めはじめる。
妊娠・出産は未知のことだらけ。インターネットでなんでも検索できる時代だけど、こういう時はやはり信頼できる身近な友人の言うことを聞いてしまう。とりあえず妊娠本と葉酸サプリをアマゾンでポチッと。

数日後、勧められた個人のレディースクリニックに行ってみる。小さいながらも経験豊富な産婦人科医の先生が都心に開業した普通のクリニック。
「ちゃんと赤ちゃん、いますように」ドキドキドキドキ...
祈りながら、下半身丸出しで産婦人科の例の診察台に腰をかけ、両足パカーっとお股全開に。
この時点から、女性としての尊厳は少しずつ麻痺し、母親になる準備が始まるのだ。
「赤ちゃんいますね。子宮の中で妊娠成立しています」
泣ける。いた!嬉しい!涙目。
子宮外妊娠とかしてなかった、よかった...。確かにゴマ粒みたいな黒い影が存在してた。妊娠成立してた...
このときすでに妊娠5週、2ヶ月目に入る。(妊娠週数の数え方って不思議なんだけど、まだ受精もしてない最終月経日から1ヶ月目が始まっている)
心拍確認できるまで、まだまだ余談を許さないけれど、私、妊娠してた。すごい。ちゃんと女性として妊娠する能力、あったよ!
夫には泣きながら電話。喜んでた。
とはいえ、妊娠12週までに流産する確率は15%あるらしく、まだまだぬか喜びも出来ない。
嬉しいのと不安な気持ちが入り交じるけど、でも嬉しい気持ちが勝ち。
ついに私もお妊婦さん。


妊娠初期のわたし

幸いにも、つわりは軽かった。
突然「うっ」となってトイレに駆け込むとか、毎日がひどい二日酔いとか、気持ち悪くて水も飲めないとか、トマトばっか食べるとか、そんな状況になるのではと戦々恐々してたけど、思ったより全然平気だったので良かったのだった。(そんな辛いつわりを体験して仕事サボったり看病されたかったという気持ちもなくもなかった)
もちろん、それなりに体調は悪く、えづいたり、軽いめまいがしたり、お腹すくと気持ち悪くなったり(軽く食べづわり)、夜は疲れ果てたり、眠かったり、やる気なかったり。階段や上り坂はもう絶望的にしんどくて息切れするし、暑さ・日光にも弱くなった。重力と太陽(=地球の原始的な環境)に耐えられない弱者に成り果てた感はあった。
でも言うほど生産性落ちなかったし食欲もあった。総じて、軽い二日酔いが続いて著しく体力が無くなる感じだった。でも臭いトイレはかなりトリガーで、おしっこしながら超えづいてた。
自称・持病は二日酔いの私だったので、体内に異物がどんより紛れ込む気持ち悪い感じに慣れてて、だからつわりの症状も大してつらく感じなかったのだと本気で思ってる。会社来て座って仕事するぶんには意外に大丈夫だったし。
必要な人へは妊娠報告もし始めていた。
会社の人達は本当に理解のある人しかいないんじゃないかっていうくらい、受け入れてくれたし、気も使ってくれた。体力使いそうな仕事は自然に避けてくれたし(面倒くさい仕事避けるのもともと特技だったけど)、謎のモラハラ、マタハラ、そんなものとは無縁な組織で実に良かった。
とはいえ、当然ながら気力体力は落ちるので、生産性は妊娠前と同じというわけにはいかない。どうしても保守的になって、新しいチャレンジに取り組む気概はなく、自分のコントロール下に収まる仕事しかしたくなかった。でもそれもしようがないよなあ。きっとそんなに迷惑はかけてなかったと思うし。
おかげさまで、軽いつわりも徐々に消え、体力も少しは回復し、でもその分腹もでかくなっていくのであった。
でもいわゆるマタニティブルーは患ったのだった。


ホルモンと情緒

一方ホルモンバランスの乱れとやらの情緒不安定はそれなりにひどかった。
例えば、仕事帰りの家の最寄り駅の改札をでるところ、向こうから改札に入るおじさんにバンっと改札をとられ、私は改札迂回するという、非常にたわいもない事があったのだけど、それがトリガーで泣き出す始末。「あんなにバンってすることないじゃん...」わけわからんけど、めそめそ泣きながら家までの帰り道の坂を登った。道行くもの全てに傷つくギザギザハートの妊婦だった。
産婦人科で心拍確認、妊娠確定のお墨付きもらって、その足で母子手帳もらいに行った日。ついに晴れて妊婦の仲間入りできたことが嬉しく、晩ごはんつくって待ってたのに、夫の帰りがやたら遅い。そのことに異常なまでに腹を立てて、ギャン泣きした夜もあった。
「妊婦にそんな態度をとるなんてひどい」被害妄想を発動しがちな日もあった。全ては私の意思とは関係なく乱れるホルモンさんのせいであって、私のメンタルのせいではないと、他人事のように思ってみたり、思わなかったりしていた。


あさこさんも妊娠

私が妊娠8週ごろ、なんとあさこ食堂のあさこさんも第二子を妊娠してることが判明。こんな奇跡が!!!起こるとは!
あさこさんは一番の友だちと言っても過言ではなく、料理、子育て、ライフスタイルの師匠みたいに思ってて、すごく気が合うし、お互い好きなのだ(と少なくても私は思ってる)。私が真っ先に彼女に妊娠報告した時には「わたしも2人目欲しくなっちゃった、そしたら同級生だね」なーんて言われてたんたんだけど、1月産まれの我が子と同級生にするなめには、あと1-2ヶ月で受精して着床して成立しないといけないんだから、そんなのできたら奇跡だねなんて思っていたら、そんな奇跡が現実になった。月齢も極めて近い妊婦友だちになってくれるなんて、同志で戦友で親友、もう一生一緒にいたい、くらいです(笑)
会社でも、仲の良い同僚がほぼ同時期に妊娠してて、会社では挨拶のようにお互いの腹を触り合いきゃっきゃしてるのも楽しかった。身近に妊婦の同志がふたりもいるし、会社の人達も受け入れてくれているし、夫も協力的。こんなにも周りの人にはとても恵まれているのに、ホルモン情緒不安定を患う困った人間なのだった。


無痛分娩にする

産む病院は、東京女子医大で無痛分娩にすることに決めた。
女子医大は家から近いこと、大病院なので何かあっても安心できること(一応、高齢出産ですし)、元同僚から紹介してもらえたこと、外来病棟がザ・大病院ぽくかっこよくて、タリーズとかコンビニがたくさんあってここに入院したい!とワクワクしたこと、そしてなにより無痛分娩に対応していることから選んだ。
通っているレディースクリニックのお医者さんに紹介状を書いてもらって、妊娠4ヶ月の時点で産科外来を予約、受診、分娩予約を行う。女子医大での無痛分娩を希望する場合、産科麻酔ができる医師の都合もあり、完全なる計画分娩となる。出産の日取りを妊娠4ヶ月の時点で決めて予約をする、つまり、2017年1月の出産日(=子の誕生日)を、2016年7月時点で決定してきたのだった。「予定日のだいたい1週間位前に産んでもらうのですが、無痛分娩できるのは○曜日と○曜日ですので、どっちがいいですか?星座も変わりますねぇ〜」みたいな案配だったのでちょっと戸惑った。
女子医大の無痛分娩は、分娩前日に入院、検査やらなにやらして、股に子宮口が開きやすくなるようにバルーンを装着して就寝(まじか)、お産当日は朝から陣痛促進剤を点滴して人工的に陣痛を起こし、背中から硬膜外麻酔も入れて、まったく無痛の状態でお産が進むのを待ち、うまくいけば夕方に、だいたい夜には出産できるという流れ。そう、計画した日に、いつくるかわからない陣痛に怯えることなく、無痛の状態で、人工的にするん!と産んで、我が子に会えるという素晴らしいプランなのだ。
麻酔した状態で全然痛くない状態で、10ヶ月間で3キロにまで育ててきた赤子を産み落とすって、絶対気持ちよいはずなんだよね...。麻酔で下半身が浮いた感覚の中、10ヶ月貯め続けた3キロのう○こを一気に出すような感じだと勝手に想像している。そんな都合良く行ったら最高だよ...何もかも都合良く安産で産まれますように。

お産は自然で産むべき論、お腹を痛めて産んだ我が子こそ本当に可愛いのだ論、無痛や帝王切開で産むなんて母としてダメなのだ論、そういうこと言ってくる人は周りには皆無で良かったけど、そんな人いてもガン無視するつもりだった。だって、現代医療をもってすれば、完全に管理された安全な状況下で、いつくるかわからない陣痛に怯えて過ごし未知の激痛に耐えて耐えて耐えて耐えた後に、死にそうになりながら子どもを産み落とす...という苦労をしなくていいんだったら、それに超したことないじゃないですか...。ヨーロッパやアメリカでは無痛分娩での出産が主流だと聞きますし、そっちの方が合理的だと思うわけです。
まあ、お産に関する考え方は人それぞれ、価値観の違いで宗派の違いのようなものだ。


マタニティマーク

妊娠5か月まで、席を譲ってもらえた回数はトータル3回。はじめてマタニティマークつけた朝、銀座線と南北線でそれぞれ女性の方に譲ってもらえて、世の中なんて優しいんだと感動したけれど、それはビギナーズラックみたいなものだった。
リュックにつけてるからまず気付かれない、私の服装も見た目も妊婦感無い、というところはあるにせよ、だ。実のところ別に今すぐ座りたいほど辛い訳でもないけど、さ。
妊娠初期における、リュックのマタニティマークはまじクソ意味ねーという結果になった。

そして次第に腹がでかくなり、妊娠中期になりどうみても妊婦な姿になると、譲ってもらえる機会も増えてきた。割とチャラい外観の人の方がスッと譲ってくれることが多い気がする。ヤン・チップチェイスのサイレント・ニーズ的なデザインリサーチ気取りでマタニティマークをつけての都内の電車に妊婦が乗車するというフィールドリサーチが趣味のひとつと言えるようになった。(悪趣味)

我先に優先席座る人とか、優先席でスマホしか見てない人、そして目をつぶってる人、すごい多い。そんな人は実社会でも気の利かない、普段は抑圧されて生きてる可哀想な労働者、もしくは日本社会に馴染みのない外国人とみなすなどして、生存者バイアスさながら、優先席でそういう奴らの目の前に立ち(文字通り)見下す妊婦、それが私だった。
本当に周り見てない人って結構いるものです。そういう人には「どうか出世しませんように」と心の中で呪いをかけた日も何度かあった(なぜかサラリーマン前提)。
優先席座るなら、周囲に「優先すべき人間」がやって来やしないかどうか、寝てないでスマホばっかみてないで、気を張っておくべきと思うんだなあ。電車にわざわざ優先席も設けてマタニティマークも仕組みとして完備してるくせに、機能しないジャパンの社会を存分に体感したのであった。


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