わたしの妊娠記録(後編)

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第一印象=腹がでかい妊婦状態にまでなった私。長瀞にて。


2016年5月末に妊娠が分かってから、2017年1月下旬に第一子を産むまでの、エッセイ的な文章をブログに綴ります。
ちなみに川上未映子の「君は赤ちゃん」を読んで(全ての妊婦と旦那さんにお勧めしたい)号泣して書き始めたので、その小説に非常に多くの影響を受けた内容であります。
前編はこちら、中編はこちら


娘に毛糸の帽子をつくって被せたい

なぜか、その瞬間のことを想像すると気持ちが昂り強い感動を覚えて涙が溢れてきた。
冬に産まれたばかりの我が娘に、編み物なんて出来ない私が一生懸命作った可愛い帽子を被せたい。いくつか自分でも説明できない、その事を考えると涙が溢れてしまう「琴線」が存在するんだけど、本件もこれ。
帽子は何色がいいのかな。かわいい優しいピンク色かな。かぎ針編みが良いのかな?
これから会う赤ちゃんのために、一針一針大事に心を込めて、編み物をしたい...!
こ、これが...母性の目覚めというやつかしら...

そういや19歳の冬、当時付き合ってた人にクリスマスプレゼントととしてあげるため、マフラー編んでたことを思い出した。
「音楽に集中したいから別れたい。クリスマスは家族と過ごすから会えない」とか言われ、それでも起死回生の気持ちでマフラー編んでたんだっけ。嗚呼、あの頃のじぶん、痛すぎて悶える...。そもそもなんだよ、音楽に集中したい、クリスマスは家族と過ごしたいって。死ね。
まあそんなこんなで、南武線車内でマフラー編んでたところ、隣のオヤジに「ガタガタうるせーんだよ」とキレられ逆ギレした事もあったっけ。その怨念こめて編んだマフラーは彼に渡すことができたけど、やっぱりクリスマス前に別れた。
でも数年後、社会人になってからかな?飲み会で再開した時にそのマフラーはしばらく大事に使ってたという話を本人から聞いた。ちょっと救われたし、なんというか、何かを乗り越えたよね。今思い出すくらいには、思い出深い、私の編み物の記憶なのだった。それ以来編み物してない。話が脱線しちゃった。


そして母の力も借り、頑張って編み上げたかぎ針編みの帽子。飼ってるオカメインコのモモちゃんカラー、独特の配色。へたくそだけど超かわいい。かぶせるのすっごく楽しみ。


妊娠後期

見てはいけないもの、見たくなかったものが下腹部に確認できた。それは、It's 妊娠線、yes, stretch mark! Ahhhh....!
でかい腹の影に隠れて見えないから油断していた。これ以上延焼しないようにしなくては、これ以上増えませんように。私の下腹部の皮膚さまお願いします。(結果としてさらに延焼したのだが...辛い)

妊娠後期となると、正中線がへその上にまで伸びていたり、シミが増えたり、体中のメラニン増幅、腹はますます膨れていよいよ「靴下はけない」みたくなり、寝るときも横向きにしか寝れないんだけど、下にしている方の部位が圧迫されて辛い。腰も痛い。体がますます重い。ていうか35週時点で11キロは体重増えてる。
前に治療した歯根が悪くなってしまい、保険効かない薬を入れるから治療に5万円かかる、歯医者に次回現金で持ってきてください言われたときの顔もした(ちなみに、ヤブ医者でもないし、その高い薬は効果テキメンでした)。
妊娠10ヶ月近く、いよいよこれまで通っていたレディースクリニックでの健診が終わり(早くて安くて良かった...全部で40分くらいで終わって毎回ゼロ円〜3500円くらいで済んでいた)、健診も1週間おきとなる。産む病院である女子医大の健診はトータル5時間弱かかって、会計機には17,000円の請求金額が現れ、放心しながらクレジットカードを挿入したりもした。さすが大病院様デスネ。

でもそれらはただの愚痴であって、母子ともに健康で極めて順調で、どこかで落とし穴があるんじゃないかと思うくらいだ。
夜、2-3時間おきに目は覚めるけどすぐに寝れるし、頻尿だけど夜中にトイレに起きることはあんまりない。食欲もある。ふるさと納税で青森のどっかの自治体から届いたたくさんのりんごを毎日シャクシャク食べてた。
我が子は検診行く度に「極めて順当」な大きさですくすく育ってる。エコー写真が楽しみだったのも初期だけで(胎動もない妊娠初期は、我が子の様子が確認できるのは、3週間に一度の健診のときだけだったのだ)、後期のエコー写真はもうなにかの「影」しか認識できず、夫に見せてもよくわからない反応をされる。私も「顔らしき影」を説明するも、はっきり言って全然よくわからない。

胎動もピクピクからポコポコへ、そしてボコボコぐにぐにと、まあ良く動く。腹芸かと思うくらいうねうね動くお腹が愛おしい。「元気だねー。狭そうだね。早く会いたいなー。でもあと1ヶ月はそこにいてね。」と話しかける。この腹の中がぐにぐにと動くこの感覚、もし次の妊娠がないとしたら、実に今しか味わえない感覚なんだなあ。

27週から30週まで逆子で、もしかしたら帝王切開になるかも...と、逆子に効く鍼灸行ってみたり、逆子体操してみたり、医療保険で入院時の個室の差額カバーできるから逆にラッキーだもんね...などと調べ込んだりしていたけれど、32週には治っていた。良い子だね。


産休

12月10日、会社の大行事、250人集めるクリスマスパーティーの日を最後に産休に入った。ギリギリまで皆と一緒に元気に働けたことが嬉しい。最後まで、仕事を過度に与えられることも奪われることもなく、自分のペースでもちゃんとお仕事させてもらえてありがたかった。復帰後も帰る場所があって嬉しい。会社に行けなくなって寂しい気持ちもあるけれど、とにかくここまで走りきれて良かった。
産休に入ったら、社会に関わらない寂しさから発狂するんじゃないかと思ってたけど、そんなこたあなかった、すぐに慣れた。産む前の産休は最高だ。
朝ゆっくり好きな時に起き、自分のペースでできるギズモードのライターの仕事も継続できるし、あさこさんと銀座で優雅にランチしたり、編み物したり、セルフマタニティフォト撮影、確定申告の書類整理、自分のブログのリニューアル作業、久しぶりに都内でゆっくり過ごす年末年始には初めておせちをつくったり、そしてもちろん赤ちゃんを迎える準備をしたり、保活、そしてだらだら過ごしたり...etc。
PlayStation VRも買えてしまった。しばらく遠出は出来ない代わりに家からVRの世界に旅立つことができてしまう。Rez Infinite最高。PSのハードウェア代85,000円なんて、ちょっと旅行とか帰省したら飛んでくお金なので、まったく問題ないということにしている。
忙しくないけどやることいっぱいあって、ひとことで言うと産休最高、雇用保険ありがとう。働いてないのにお金くれてありがとう。
日本のサラリーマンの待遇の良さといったら!この恩恵にあずからない手はない。雇用保険払い続けてきた甲斐あった。


この世の全ての人間には母親がいる

ヒトがホモサピエンスとして、類人猿でアウストラロピテクスでクロマニョン人だった何百万年も前から、ヒトは交尾して雌の卵子で受精し妊娠して子どもを産み落として、星の数ほどの祖先が存在し今に至っている...と思うと、地球上で今までどんだけの出産が行われてきたんだろう。何兆・何京・何垓か知らないが、星の数ほど出産が行われ、それぞれの出産にはそれぞれのドラマが存在したのだろう。

昔は、男女ともに強くて健康で、性的魅力があって生殖能力がある人ほど、モテたんだと思う。
今ほど相手を吟味することなく交尾して、妊娠・出産一直線、産んで育てられなければ切り捨てられ、その子どもを次世代につなぐことができるかどうかで、女のヒエラルキーの頂点が決まってたんじゃないかと想像する(大奥的な)。昔は文字通り命がけで出産して、母親が出産と同時に死ぬこともあれば、子どもは様々な事情で大人になるまでに命を落とすこともあっただろう。
でも現代は、医療の力で妊娠したらかなりの確率で子どもを産むことが可能になった。高齢でも出産できるし、万が一赤ちゃんに疾患があっても生きられるようになった。さらに(特に日本などの先進国においては)、[好きな人できる]→[付き合う]→[結婚にいたる]→[子作りして妊娠する]→[無事出産にいたる]というプロセスが必要で、それぞれに大きなハードルが存在する。昭和までは[結婚にいたる]までのプロセスをスキップする「お見合い」が当たり前だったのに、自由恋愛結婚が主流となる現代は本当大変。最初の段階の好きな人できて付き合うだけでもすごいことなのに、婚活とか、妊活とか...そりゃ晩婚化するし少子化にもなる。(東京タラレバ娘的な)

どんな天才科学者も、どんな天才アーティストも、人間を創造することはまだできない。
人工知能やロボット工学やバイオ領域のテクノロジーで「極めてヒトに近いモノ・能力」を再現できるようになってきたとしても、今昔のアーティストの天才的な視点で「ヒトを表現するアートな何か」を創造したとしても、それらは、完全な人間の代わりには(まだ)なり得ない。
いまだ人間を創ることができる唯一の方法は、人間の男女が交わり受精し、女性の胎内で胎児を育て産む以外にない。
だから、出産ほどクリエイティブなことはないし、育児ほどグロースハックなことはないのだ...などと何百万年も前からの地球の人類の常識をそれっぽく考えてみる。


出産前夜

予定通り無痛分娩前日昼に入院、諸々の検査に点滴の針を刺され(痛いねこれ)、子宮口広げる処置(しんどかった...でも陣痛の痛みに比べたら屁みたいなもんなんだろな)をし、ずっと子宮ふきんが生理痛のような感じ。生まれて初めての入院生活初日は、赤ちゃんの元気な泣き声が絶え間なく聞こえる賑やかな産科病棟でも、やっぱり病室は辛気臭く、生気が減って行く感じある。
いよいよ明日。泣いても笑ってもついにここまでやってきた。
進捗率99%、今日の今まで、非常に順調なプロジェクトだった。このまま元気な赤ちゃんが無事産まれてきますように。
妊娠がわかってから9ヶ月、私の胎内でずーっと、健やかなる時も病めるときも寝てるときも食べてるときも、肌身の中で離さず育ててきた我が子はいよいよ、明日、外の世界に産まれてくる。
明日は彼女の長い長い人生の幕開けの日であり、そして私も人生の第二幕が始まる日。そしてアメリカではトランプが大統領就任する日(知らんけど)。

今日までお腹の中の我が子と一緒に過ごした日々を忘れないよう、こんなエッセイをつけ始めました。

いよいよ明日、ついにあなたに会えるね。ずっと会える日を楽しみにしていました。
これだけは今から言えるけど、私はあなたの事が大好きです。
お母さんは、これからあなたを全力で愛し、あなたが健やかに成長する手助けをしていくことを約束するから、安心して出ておいで。
それでは明日、一緒に頑張ろう!


きみは赤ちゃん
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この記事について

このページは、mayumineが2017年1月24日 09:00に書いた記事です。

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