いちるさんが昔おすすめしていたのを思い出し、読んでみました。
読み物としても抜群に面白い、ドキュメンタリーなんだけど小説のような、そしてビジネス書にも通ずるドラマティックな内容で傑作でした。2002年に出版されたものですが、一読の価値あり。
1990年代に起こったボスニア紛争の時に行われた凄まじい広報戦略の裏側についてドキュメンタリー的に解説された本です。 ボスニア紛争の勝敗を決したのはアメリカPR企業の「陰の仕掛け人たち」だったという話。
「広告代理店」とか、「PR戦略」というと民間企業の広告・広報戦略みたいなイメージだけど、この中でいうPR(Public Relations)とは、プレスリリースを出したり各種メディアに広告を出すような行為だけでなく、メディアの有力記者にあの手この手を使って、ボスニア側有利な記事を書かせたり、政治家や有力者との関係を取り仕切ったり、国際会議をオーガナイズしたりするような事も含まれています。
アメリカのルーダー・フィン社、その中でボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のPRを担当したジム・ハーフらが、クライアントであるボスニア・ヘルツェゴビナ共和国に同情的な国際世論を巧みに演出していく話は本当にすごい。
PR会社がよくここまで政府の中心に入り込み、またボスニア政府もPR会社を頼りきっていたというのが驚き。
日本なら官僚が行うような仕事ですよね。
セルビア人の行為を「民族浄化(ethnic cleansing)」であると決め打って、ミロシェビッチ率いるユーゴスラビア連邦に悪のレッテルを貼ったのは何を隠そう、アメリカのPR会社の暗躍があったから。
最終的にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、ユーゴスラビア連邦が国連から追放されてNATOに空爆されて、ミロシェビッチは牢に繋がれ、ユーゴスラビア側の完全敗北という結末です。
「民族浄化」は、1990年代に内戦中の旧ユーゴスラビア地域のメディアに頻繁に使用されたクロアチア語、ボスニア語およびセルビア語の「етничко чишћење / etničko čišćenje(エトニチュコ・シスチェーニェ)を翻訳したもので、ボスニア紛争を契機にして1992年頃から世界の主要メディアでも広く使用されるようになった。流通するようになったきっかけは、当時のボスニア政府とPR契約を結んでいた、アメリカの広告代理店「ルーダー・フィン社(英語版)(Ruder Finn)」が効果的なメディア対策をおこなったためである。
そしてあとがきにあった、
国際的には銃弾より大きな力を持つようになった「PR(パブリック・リレーションズ)」(時にそれは、「メディア戦略」や「情報発信戦略」の形をとる)に対する無理解が、日本のあらゆる業界のあらゆる場面で、致命的な弱点としてたちあらわれている。 そのことは、日本をとりまく国際関係の舞台では、さらに明瞭になる。一例をあげれば、中国・韓国では、戦後六十年を経ていまだに日本への反感が忘れられるどころか、逆に燃え盛っているように見える。この状況について考えるとき、日本の国家的なPR戦略の欠如を、一つの、しかし大きな要因として指摘せざるを得ない。同じ敗戦国としてよく比較されるドイツの、有名な「ナチスの被害者の碑の前でひざまづくブラント首相(西独=当時)の映像」や他の指導者たちがさまざまな手法を通して発してきたメッセージが果たした巨大なPR効果に匹敵する何かを、日本はしてきただろうか?
この言葉。日本の政府はもう少しPRが上手なら、こんな事にはならないよね。
安倍首相はダボスで何を言ったのか? | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
一応、広報のはしくれとして、とてもためになった本でした。 今一番憧れている職業は「国際政治世論を裏でコントロールするPRパーソン」ってくらいに!