20年前に住んでたところに20年ぶりに行ってみる

たまたま近くに行く機会があったので小学校4年生まで住んでいた団地周辺を訪れてみました。
正確には自衛隊官舎。自衛官の家族は2年〜4年おきに全国津々浦々、転々とします(そうでない家族もいますが)。
私が中学校に入ってからは家族は東京に居ついて、父だけ単身赴任するようになったのだけど、そういう事情もあって、私は小学校までの記憶がかなり薄い方なんだと思います。
昔の記憶って、その土地や当時からの友達や、何かしらリアルな媒介がそこにあることで思い出される事が多いと思うんだけど、小学校までの私の記憶は思い出される機会があまり無いままどんどん上書きされていくのですね。

そんな状態で、20年前まで住んでたところに20年前の記憶のまま行くとどうなるか。
すごいデジャブが起こる。
どんどん遠い記憶が思い出されてくる。

20年前と雰囲気がほとんど変わっていなかった。

昔ローラースケートしていたすごく急だと思っていた坂が、ものすごくなだらかでむしろ坂では無かった事に気付いたり、すごく遠い場所にあると思っていた公園がすげー近かったり、徒歩15分感覚の商店街が実は徒歩3分もしなかったり。
今より遥かに低い目線と小さな歩幅で歩いていたんですね。

20年前にもあった文房具屋が今も残ってて「ああ、ここでネリケシ買ったりしたわ」って思ったり、駅前までバスに乗って15分かからないくらいなんだけど、あの頃はそれがものすごい遠出だと思っていたりしました。

そして小さいころ大好物だった近所のラーメン屋に行ってみることにしました。
またそのラーメン屋が潰れているどころか、驚くほど何一つ変わっていません。トイレなんか和式のままなのにピカピカでよく掃除されています。
30周年キャンペーンとかやっていて地元に愛されているようでちょっと嬉しかった。

そこで当時の大好物だったそのラーメン屋の味噌ラーメンを頼みました。

味は…思っていた以上に普通だった。いや、普通に美味しかったし、味が全然変わっていなかった。

私はここの味噌ラーメンが好きすぎて、好きな食べ物と聞かれれば味噌ラーメンだったほどでした。
その時食べてたものなんて、お母さんの料理か給食か、外食は味噌ラーメンかざる蕎麦しか(外食というと父が9割蕎麦屋に入るので…)なかったように思います。
食の選択肢が限られていた故に舌が貧しかったのだろうなあ。
子どもの感受性はこうやって育っていくのだろうか…などと考えてしまいました。

もうここには友達は誰一人いないけど、大宮は私の育った町でした。

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このページは、mayumineが2012年7月24日 23:43に書いた記事です。

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