イギリスに留学してた2004年の夏頃、国連に勤めるコソボ出身アルバニア人の友人をつてに、このほどセルビアから独立宣言をしたコソボに旅行した事があります。
コソボに旅行した体験もかなり珍しいと思うので、コソボ独立(厳密には微妙だけど)を記念して、旅行の備忘録を書いてみたいと思います。
そもそもコソボとは・・・、(面倒なひとは読み飛ばしてね)
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もともとはイスラム教徒のアルバニア人、セルビア正教徒のセルビア人が住んでいました。第二次世界大戦後はコソボはユーゴスラビア連邦の、コソボ自治州として成立していたが、ユーゴスラビア大統領のティトー氏の死により、セルビア民族主義が噴出します。コソボの地はアルバニア人が大半数だったが、セルビア人の民族主義者、ミロシェビッチ大統領の「民族浄化」により、多数のアルバニア人が殺され、たくさんのコソボ難民が発生じました。紛争は泥沼化し、ついに1999年NATO軍の介入に至るのです。
そしてミロシェビッチ氏は国際裁判にかけられ、コソボは完全に国連によって統治されていました。
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コソボはアルバニア人が95%、セルビア人が5%という人種構成で、アルバニア人とセルビア人は今もお互いに嫌い合っていて、コソボを行く先々でもそれを感じずにはいられませんでした。
そもそも日本人が観光目的でコソボに入るのが非常に珍しいらしく、
プリシュティナ国際空港の入国審査官には日本人の観光客は初めてだと言われました。
実際、コソボの行く先々でコソボ人にはマジで凝視されまくりです。
道で通り過ぎても、振り返って凝視されるくらいの凝視具合です。
コソボでの移動はこのUNカーで!
道すがらに、でっかい「なんかのさなぎ」がありました。
コソボで2番目に大きい街、プリズレンの風景。
山の上のアルバニア人一家。貧しい暮らしだそう。月に200ユーロの収入で8人を養っていかなくてはならないのだそうだ。
コソボはイスラム教の国だけど、ごく僅かにキリスト教徒もいます。
たまたまそのキリスト教のお祭りに行くことができました。
いわゆる「隠れキリシタン村」のお祭り。
アルバニアの民族衣装。
かわいい女の子達に出会って、仲良くなりました。
これはまた別の場所だけど、大学生の女性たちとも少し仲良くなりました。
(私含め、みんなタバコ持ってんな~・・)
多分コソボに限らず、東欧の女性ってすごく綺麗だと思う。
首都プリシュティナ、通りすがりに。
「U.S AREMY THANK YOU AMERICA」